わたしの見た風景


by kayauokamoto
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30

カテゴリ:風景( 7 )

京都という力

さて、色々お店の紹介なぞしている内に、
京都に行ってからそろそろ2週間が経とうとしています。

京都は毎年1度は訪れているけれど、今回は結婚をして初めての訪問。
そうして訪れた京都はこれまでとは違う想いを通して見えてきて、
そんなことは行くまで全然予想もしていなかった。

仕事を辞め、鎌倉を離れ、これまで知らなかった土地に住み、姓も変わって。
そんなことは、誕生日にひとつ歳を重ねた自分が
前日までの自分とは何も変わっていないと思うように、
とても小さな変化だと思っていたけれど、
こんなに風景を変えてしまっているのだなあ。

私は、今まで感じていた以上の強い力を京都という街から感じて、
それに圧倒されて帰ってきた。
その「力」とは、一体何だろう。
あれからずっと考えているけれど、
まだうまく言葉にすることが出来ていません。


ちょうど金木犀が咲き始めた頃で、
京都はどこもむせる程の強い芳香で満たされていて、
それは匂いというよりもむしろ塊だった。

普通の家でも丁寧に手入れされた庭や植物。

そこらに漂う、焚き染められた白檀の香り。

古くて大きなお屋敷が、当たり前にそこに現れる路地。
もちろん、神社や寺院も。

朝、あちこちの道に行き交う自転車。生活する人々。

繁華街も、
そこにいる人たちも、
どこにでもある。どこにでもいる。
でもやっぱり、この街は特別で、大きな“時間”を抱えて、ここに在る。

目に見える景色と、そこに抱えられた見えない時間というものが、
今回はこれまでよりもずっと強く強く感じられた。
その長い年月を経てきて産まれたものは
結局は「歴史」とか「文化」と呼ばれるものかもしれないけど、
でもそう単純にひと言では片づけられない
日々の人々の小さな暮らしも抱えて街を包んでいて、
今は見えないけれど確かに在ったそれらの息遣いを、
私は今回初めて感じたのだと思った
それは多分、鎌倉という土地から離れたことが大きいのだと思う。
うまく言えないのだけど。

そして、あの街(時間)の中で今を生きている人には、
どうしたって自分は入れないのだなあと思うと、
どうしようもない焦燥感というか敗北感というか……、
そういう想いを抱いてしまう。

鴨川というものがある京都に、東京や鎌倉なんて絶対叶わない、
とずいぶん前から思っているのだけど、
それは、あの川にたくさんの生活と時間の流れが、
いつも確かに在るからなのだろう。
a0136322_16155624.jpg

[PR]
by kayauokamoto | 2011-10-15 16:16 | 風景

秋やあらぬ

最近は、家を出るとき必ず一度引き返すのです。
ドアを開くときに無意識に想定していた空気が、
今までのものとは全然違った、もうすっかり秋のそれになっていて、
瞬時に冷たく覆われた肌に被せるものを取りに行くために。

窓から見える朝日を受けた風景は今までと変わらないように見えるのに、
外に出ると、
光がオレンジを帯びていたり、
影の輪郭が柔らかくなっていたり、
遠くの紀伊半島の山の稜線がくっきりと見えて、空気が澄んでいることを知る。

虫の音をのせて震えるひやりとした空気は、
微かに煙たい、焚火の匂いのような、葉の枯れていく匂いがして、
それを肌に受けると、たくさんのものが私の中に蘇る。
それで私は、「ああ今年も、秋がきたんだなあ」と思う。

いつもと変わらない秋の空気に、
触れる輪郭の内側に在るものの不確かさよ。

なんかこんなこと言った歌あったな。
ああ、業平か。
  月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身ひとつは もとの身にして
逆のこと言ってるけど、本質はおんなじことでしょ。
その心余りて、詞足らず。

a0136322_14162612.jpg

[PR]
by kayauokamoto | 2011-09-26 14:17 | 風景

空を切りとる

空を写真におさめるのが好きだ。
同じ「青空」でも、色や雲や光の強さで表情が違うから、
「これまでさんざん撮っているんだから、今日はもういいや」と思っても、
やっぱりまたカメラを向けてしまう。
目に見えている景色は同じなのに、いつも違う。

そうしてずいぶん前から空の写真を撮り続けていたのだけど、
最近シャッターを押した後、何かもの足りない気持ちがしている自分に気がついた。
どんなにレンズを広角にしても、私が目の前に感じている拡がりのほんの一部しか切り取れない。
そういう想いを、ここのところ毎日感じているのだった。

考えてみれば、これまで私が肌に感じていた空は、いつも区切られた空だったのだ。
東京はもちろん四角く囲まれた空で、
鎌倉では空を見上げるとどこか目の端に山の稜線があって、
だからこれまで、ほとんど“空の全て”を、私は小さな枠の中におさめることができていたのだった。

でも、今はそうじゃない。
早朝、家の近くを散歩していると、
左にオレンジを染めた空があって、その光が闇を深い青色に塗り替えていき、右手にはまだ闇をとどめた雲がある。
少しずつ強めていく光は、その遠く向かいにある闇にもオレンジを映して、雲に色を反射させる。
大きく拡がる雲に、橙、黄、青、紺、灰、って色々な光を帯びた雲があって、
でもその雲は大きなひとつの雲だったりする。

そういう頭上に拡がる360°のパノラマが、今住むこの土地にはあるんだなあ、ということを、
カメラの中に空の一部を切りとりながら、最近知った。
空も、雲も、遠く向こうまで拡がっている。

今日こちらは、強い雨です。

a0136322_13213372.jpg

[PR]
by kayauokamoto | 2011-09-20 13:22 | 風景

有明の中秋の名月

少し遅くなってしまったけれど、先日の中秋の名月。
12日がその晩でしたが、これは翌朝5時頃の風景。

まだ残る美しい光に慌ててカメラを取りに戻ると、雲に翳ってしまいました。
a0136322_12391457.jpg


もう一度望遠レンズを取りに行ったときには、もうすっかり明るく。
a0136322_12512334.jpg

[PR]
by kayauokamoto | 2011-09-15 12:42 | 風景

京都駅

 窓の向こうの銀杏の葉が風に揺れていたり、藁半紙の上に踊るまだ幼い生徒たちのふぞろいの文字を見ていたり、秩序のある雑然さの中に収まっているパソコンの画面を見ている私が、ふと黒くてだだっ広い空間に放り込まれる。京都駅の、蛍光灯の光が弱い、どこを見てもたくさんの人のいる、南北自由通路の風景。
 先月ここを通ったとき、そこにいる自分がすごくその場に「馴染んでいる」ような、なんだかヘンな気持ちがした。毎日その場を利用しているような奇妙な感覚。確かにここ最近京都に行く機会が多かったし、他のどの都市よりも足を運んでいるし、日常の廊下で見慣れた顔を、以前すごく偶然にあの人波の中に見かけたことがあったのも、関係があるのかもしれない。
 そんな馴染んだ空気を持ったその場所に、私は日常の中で突然ふと立たされる。ここ数日そういうことが、すごく多いのだ。さっきは伊勢丹の入り口辺りから、あの高く開けた吹き抜けの様子を見ていた。

 単なる記憶の錯覚で、大して意味など持たないだろうこのことに、それでも私は一体これはどういうことなのだろうと考える。京都の神様に守られているのかもしれない、という私の勝手な期待がそこにはあって、そんな気持ちがこれらの風景を私に見させているのだろうか。
[PR]
by kayauokamoto | 2009-07-06 18:26 | 風景

読書の時間

 寝転がって本を読む私の目の端がとらえていた畳の目地が、蒼白いものから急に温かみを帯びてきたと思ったら、さっきまで灰色の霧で覆われていたような静かな部屋の中が鮮やかな色で浮かび上がってきた。

 車の音。
 鳥のさえずり。
 子どもたちの声。

 その色は次第にまた弱まって静寂を取り戻し、世界は蛍光灯の光の中に閉じ込められる。
[PR]
by kayauokamoto | 2009-07-02 20:41 | 風景

あの光

 藤色がかった、雨を含んだ雲のもっと遠い向こうに、もう沈む日の光を白く反射させている雲が見える。
 太陽の姿はどこにも見えないのに、その光は妙にまばゆくて力強い。
 そこへ軽やかに流されて横切る薄い黒い雲。
 その風を頬や二の腕に感じながらだんだんと赤く色をつけてゆく光と濃くなる影を見ていたとき、私は何故か妹のことを思い出した。
 汗をたっぷりかいた、あの子ども特有のむうわりとした頭皮の匂い。
 
 あの明るく光る場所に、夏があるのだと思う。
[PR]
by kayauokamoto | 2009-07-01 23:59 | 風景